こんにちは、ブログを辞めてしまったわけではありません。(理想は毎日更新だよね~)
5月中旬、母を助手席に乗せ3泊4日・2,000kmの旅に行ってきた。前・中・後編の3段構えでブログにします。
今年3月に母が退職したので、今まで行きたくても行けなかったところに連れていってあげるツアーです
使った車はこれ
ロードスターです 23万キロ走ってます 過走行 孝行(高木)
色々寄り道しますが、メインの目的は島根県安来市(やすぎ、と読むのを今回初めて知りました)にある足立美術館
足立美術館|ADACHI MUSEUM OF ART (adachi-museum.or.jp)
美術館なのでもちろん絵画もありますが、広い敷地を存分に活かした庭園が有名です
同館はアメリカの『The Journal of Japanese Gardening』という専門誌のランキングで、19年連続で日本一の庭園に選ばれています すご
5/16(月)、いざ出発。新東名に乗り、西へ進みます。
愛知県や淡路島に寄りつつ、3日目に美術館に至る行程です。
織田信長 本陣跡
新東名にはパーキングエリアから入れる合戦跡があります
愛知県新城(しんしろ)市内の「長篠設楽原下りPA」の一画。飲食店や自販機とは離れた階段から、その合戦跡に上がることができます。
1575年に武田勝頼と徳川家康・織田信長が衝突した「長篠の戦い」において信長が本陣を構えた場所、これが「信長本陣跡」として現代まで残り、さらに長い年月を経て高速道路が出来上がったのでした。
階段を上ると信長の歌碑があり、歌の内容から現在の新城市一帯は16世紀時点で自然に恵まれた土地だったと分かる。
実はこの歌、「いい天気だし鉄砲ちゃんと使えるじゃん!よかった~~」という心境から詠んだとの説もあり、実際に信長は鉄砲の弱点を克服し*1武田軍を破っていることから、勝算あってのこの歌という感じでしょう。
歌の通り茶臼山と呼ばれるこの場所。見晴らしが良く、ひとときですが天下人になりきれます。
城壁などの分かりやすい遺構がないので仕方ないっちゃ仕方ないが、観光施設としてはめちゃ素っ気ない。合戦跡とはいえ戦場ではなく陣地というのもマニアック度高め。
看板などの案内はあるものの、もう少しここに信長がいたんだ・・・!と想像を掻き立てるような何かがあると広くウケそうではある。
長篠設楽原PA(パーキングエリア)下り | サービスエリア・お買物 | 高速道路・高速情報はNEXCO 中日本 (c-nexco.co.jp)
PAの案内にも信長本陣が載ってない;;
こんな感じで渋い史跡ですが、母のテンションは猛烈に上がってました(偶然休憩に寄ったのではなく、ちゃんと最初の目的地だったんですよね)
馬防柵
新城にはもう一つ目的があって、馬防柵を見ようというもの。さらに渋いスポットですが、こっちは合戦跡ということで何か戦場の名残があるだろうか。
新城ICから車で20分、それは突然現れた。
名前の通り馬を通さないための柵で、武田の騎馬隊はこの柵と鉄砲を前に敗北してしまいました。「この辺に城なんか無いし馬でボコボコにしたろ!」と武田勝頼が考えたかは分かりませんが、一目見て作戦ミスを悟ったのではないでしょうか。
上の画像に見える立て看板より手前が織田製、奥が徳川製の柵で、それぞれ作り方に特徴がある。
手前は一層の柵だけど、奥は前後の二層構造になっている。
徳川の二層式の方が防御力が高く、部隊の整列や鉄砲部隊の交代もスムーズだったとか。一方、織田の一層式は何よりサッサと作ることができて、変わり続ける戦況に素早く対応したことが分かる。
信長・家康の性格の違いによるものかは定かではないですが、どちらも武田の意表を突くには十分だったはず。(現地にあるのは当然復元物なので、実際はもう少しルーズな造りだったかもしれないが)
現地は柵・石碑・看板があるほかに史料館がありますが、「†史料館で分かるようなことはもう知っている†(ホントかよ)」と母から強気すぎる発言があり、この日はそのままホテルにチェックイン。
新城市の街並み
それにしても新城市、市街地に味がありすぎる。
母は「懐かしい!!!」とひたすら繰り返しておりました。ホテルにチェックインした後1時間くらい散策したと思う。
車にトラブルもなく、平穏のまま歴史とノスタルジーに肩まで浸かった1日目でした。
夕飯でめちゃくちゃデカい松茸食べた
6/5後記:これはどう考えてもシイタケだろ
つづく